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千葉地方裁判所 昭和49年(ワ)123号 判決

原告 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 田村徹

被告 乙村二郎

右訴訟代理人弁護士 三谷堅志

主文

被告は、原告に対し、金三〇〇、〇〇〇円を支払え。

訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告は、原告に対し、金五、〇〇〇、〇〇〇円を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

≪以下事実省略≫

理由

第一原告とハナとの関係について

一  原告とハナとが婚姻の届出をした夫婦である事実は当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば左記二ないし六のとおりの事実を認めることができる。右認定を覆えすに足りる証拠はない。

二  原告とハナとは、見合いのうえ、昭和三七年一二月六日原告が三〇才、ハナが二九才の時結婚式を挙げ、以来昭和四五年三月二九日に原告肩書住所地に移転するまで○○市に居住し、その間に昭和三八年一〇月長女花子が出生した。ハナは、同年一一月二三日、心臓の発作で倒れ、以後約二年間、入院と退院を繰返した。その病名は、僧帽弁口狭窄兼閉鎖不全及び心房細動によるうつ血性不全と診断された(この事実は、≪証拠省略≫により認める。)。その後、ハナは、昭和四七年一二月二〇日死亡に至るまで、右疾患の治療のため通院を続けた。

三  原告は、高等学校中退後、結婚前から現在まで、訴外株式会社○○商会に勤務し、貿易関係事務のベテランで、その月収は現在税込みで金一八五、〇〇〇円である。ハナは、結婚後は洋裁の教師の職を退き、右治療と家事に従事していた。原告とハナとは、医師により、性的交渉を控えるよう勧められており、二人は、稀にハナの体調の良い時に性的交渉を持つに留まったが、その夫婦生活は、結婚以来○○市に移転するまでは、格別の波瀾はなかった。

四  原告は、ハナの前記疾患とその治療に心を砕き、何事もハナの無理にならないように注意し、家事を助け、その結果、多少の我儘をもハナに許すところがあったが、反面ハナが体を疲労させる行動に出ようとする時にはその自由を束縛することもあった。ハナは、○○市に居住していた当時は、原告の指示によく従っていたが、○○市に移転してからは、家事のほか外出は治療のため○○市の病院へ通院するのみの生活に倦み、外に出て働きたいとの希望を持つようになった。原告はこれを許さなかったが、ハナは、原告の出勤時に外出するようになり、昭和四六年一月には、実家に行くと称して、元旦を含んで三日間外泊し、昭和四七年の元旦も同様であった。昭和四五年暮ころからは、化粧も派手になり、次第に原告の注意と指示を無視して外出し外泊する度合が増し、家庭を顧みなくなり、ハナの生活は防縦となった。原告は、ハナに自愛を望み、自省を促がし、ハナは再三にわたり二度と外泊等をしないと誓うのではあったが、それも長く続かず、原告とハナの夫婦生活は破綻に瀕し、原告は昭和四七年三月になりハナとの離婚を決意した。原告は、同年同月一〇日、千葉家庭裁判所佐倉支部に離婚調停を申立てた(この事実は、当事者間に争いがない。)しかし、ハナは離婚を承知せず、調停委員もハナの説得に熱意を示さず、結局、原告は、同年六月、調停申立てを取下げた。その後もハナの放縦な行動は改まらなかった(しかし、ハナが凶器をもって原告に手向かった事実を認めるに足りる証拠はない。)が、ハナは、同年一〇月末、旅行に行くと称して一人で外出し、四・五日後に帰宅して謝罪し、以後放縦さも治まった。その後、約二か月間、ハナは家事に専心し、ハナの体調にも家庭内の人間関係にも特に異常なく過す内、ハナは、同年一二月二〇日朝、前夜からの眠りのまま永眠した。

五  原・被告間の長女花子は、もともと快活な性格ではなかったが、昭和四六年一月以後次第にその性格に暗さを増した。

六  原告は、ハナの死後、昭和四八年七月八日、≪証拠省略≫を含むハナのメモや被告からハナへの手紙等を発見し、初めてハナと被告とが後記不貞行為に及んでいたことを知った。

第二被告とハナとの関係―不貞行為

一  ≪証拠省略≫によれば被告の生年月日が昭和二二年六月一三日である事実を認めることができる。被告が○○○市所在の○○○団地において米穀業に従事する者である事実は当事者間に争いがない。≪証拠省略≫によれば、被告は、昭和四五年当時、○○米穀店○○○駅前支店に勤務していた事実及び昭和四七年一一月から独立して米穀商を営んでいる事実を認めることができる。

二  ≪証拠省略≫によれば、次のとおりの事実を認めることができる。右認定を覆えすに足りる証拠はない。

被告は、昭和四五年八月、以前からしばしば○○米穀店を訪れていて顔見知りであったハナに、千葉を案内してくれと言われ、これを容れて一日割き自動車で千葉を案内したところ、さらに誘われて房州一周のドライブをした。その後、ハナは同年九月下旬ころから○○米穀店に手伝いに来るようになり、再び被告にドライブに連れて行けと誘いドライブの後夜になって勢いのおもむくままハナは被告に口づけを求め、被告とハナは初めて口づけを交した。被告には、それまで異性関係の経験はなかった。

三  ≪証拠省略≫を総合すれば、その後同年一〇月二四日、ハナに誘われて被告とハナは自動車の中で夜を過すという強行軍で日光に紅葉見物のドライブに行き、帰路勢いにまかせる二人は節度を知らず、自動車の中で初めて性的交渉を持つに至った事実を認めることができる。≪証拠判断省略≫

四  ≪証拠省略≫を総合すれば、次のとおりの事実を認めることができる。

被告とハナとは、前記認定のとおり昭和四五年一〇月二四日性的交渉を持った後、互いに手紙を交換したり会って話合ったりして相互の愛を確め合い、打ち合わせて旅行に行ったりして、平均一か月半に一度ぐらいの性的交渉を持ち、昭和四八年八月ころに至るまで秘かな交際を続けた。その間、昭和四六年一月には、元旦を含めて二、三泊の旅行に出掛け、その他にも一泊旅行が三回ぐらいあった。性的交渉は、多くは自動車内であったが、右のとおり宿泊先での交渉や、モーテルでのこともあり、昭和四五年一一月二二日には、ハナが被告の自宅に泊って性的交渉を持ったこともあった。性的交渉まで至らず、単に愛撫に終ることも多かった。しかし、ハナは、このような異性関係の最中又はその後においても、又被告と行動を共にしている間のどの時点でも、特に心臓疾患による異常を来すことはなかった。

被告は、ハナとの交際の最初から、ハナが他人の妻である事実を知っており、また、遅くとも昭和四五年一〇月二四日性的交渉を持った時には、ハナに子供がいる事実を知っていた。また、被告は、昭和四七年一一月二一日、ハナに対し、被告が心臓に疾患を有している旨を告げ、ハナは、翌二二日、被告に対し、ハナが心臓に疾患を有していることを告げた。被告とハナは、二人共同じ疾患を有していることに驚き、それだけ一層互いに引かれた。

被告は、昭和四七年八月ころ、同年一一月又は一二月に独立して米穀商を営むことになり、また他からハナに他の異性関係があるとの注意を受けたこともあって、ハナとの関係を清算することとし、同年八月ころ性的交渉を持ったのを最後に、ハナに対し、二人の関係を終了することを告げた。その後は、被告とハナは性的交渉を持つことはなかった。ハナは、同年一〇月ころ、被告に対して手紙を書き、愛の終の苦しさを訴え、別れて思い出に生きる決意を述べ、被告の将来を励ました。

≪証拠判断省略≫

五  ≪証拠省略≫を総合すれば、次のとおりの事実を認めることができる。

ハナは、前記認定のとおり最初に被告にドライブに連れて行けと誘って房州一周のドライブをした後、昭和四五年九月八日、被告に対して最初の手紙を書き、原告に対する強い憎しみと被告に対する愛を告白し、その間に悩む自己の苦しみを述べた。これに対し、被告は、同年同月三〇日、ハナに対して最初の手紙を書き、ハナに対する愛を告白してハナに応えた。昭和四五年中にはハナの心の中には原告に対する罪悪感と被告への慕情との葛藤があり、被告に対し何度か別離を促したが、被告がこれに応じなかった。もっとも、ハナは、その実、心中被告との関係の継続をも望んでおり、理性は他律的離反を望むが、感情はこれを排していた。しかし、昭和四六年に入ってからは、ハナは、次第に、被告との秘かな関係の継続こそが本来自分の生きる場であると思うようになり、原告との家庭生活はいわば仮の宿と言うべき位置に置かれた。それにもかかわらず、ハナの理性は、いつかは終りの来る被告との関係に頼り切って原告との家庭生活を捨て去ることを望まなかった。

被告は、当初からハナとの関係に罪悪感を持ったが、ハナへの同情もあって、ハナと性的交渉を持つまでは、ただやみくもに盲目的愛に走り、昭和四六年になってから、ハナに対し何度か夫と家庭に戻ることを促した。しかし、そのころには、既にハナは被告との関係の終了を望まなくなっていた(しかし、被告の清算の申立に対し、ハナが自殺すると脅して関係の継続を要求した事実を認めるに足りる証拠はない。)。被告も、ハナへの愛を断ち切れなかったが、前記認定のとおり、昭和四七年八月になり、被告は、清算を決意した。

≪証拠判断省略≫

第三不法行為の成立

以上の事実に照らせば、被告は、ハナが原告の妻であることを知りながら、かつハナに誘われてもこれを断わることが可能であったのに、ハナと性的交渉その他の異性関係を持ち、これを継続したことにより、原告のハナの夫としてハナに対し貞操を守ることを求めうる地位に基づく名誉を侵害したことになる。そうすると、被告は、原告に対し右名誉の侵害により原告の蒙った精神的損害に対する慰藉料を支払う義務がある。

第四精神的損害―慰藉料の額

一  原告は、原告の蒙った精神的損害に対する慰藉料につき特に斟酌すべき事情としてハナの死亡、被告の原告に対するハナとの夫婦然とした振舞い、原告とハナとの家庭生活の破壊及び長女花子の性格への影響を主張するので、これらの点につき順次判断する。

二  ハナが心臓に疾患を有していた事実は前記認定のとおりである。又、ハナの死が右心臓疾患に起因するものであることは、その疾患の事実及び前記認定のとおりの死の態様に照らせば、容易に推認できる。さらに、≪証拠省略≫によれば、前記認定のとおりの被告とハナとの性的交渉等の異性関係並びにハナの外出と外泊及び精神的苦悩が、ハナの右心臓疾患に悪影響を及ぼす種類のものである事実を認めることができる。しかし、前記認定のとおり、ハナは被告と行動を共にしている間特に心臓疾患による異常を来たすことはなく、ハナと被告との性的交渉はハナの死亡の約四か月前が最後であり、さらにハナは死亡前二か月間は体調に異常がなかったのであり、これらの事実に照らせば、前記各事実によっても本件において具体的に右の諸点がハナの死亡又はその早期到来と因果関係を有していると推認することはできない。≪証拠省略≫によっても右因果関係を認めるには足りない。他に右因果関係を認めるに足りる証拠はない。そうすると、本件慰藉料の算定につき、ハナの死亡を特に斟酌することはできない。

三  原告が昭和四七年三月一〇日申立てた離婚調停の調停期日に、被告が、ハナを千葉家庭裁判所佐倉支部まで自動車で送り迎えした事実は当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、右調停の間被告が待機していた事実を認めることができる。しかし、その際被告とハナが夫婦然としていた事実を認めるに足りる証拠はなく、逆に、≪証拠省略≫によれば、被告は、単にハナに依頼されて送迎の役を果したのみである事実を認めることができ、≪証拠省略≫によれば、原告は、ハナの死後メモ等を発見するまで、ハナが被告に送迎された事実を知らなかった事実を認めることができる。又、原告が被告とハナの関係をメモ等の発見まで知らなかった事実は前記認定のとおりであるから、右事実に照らせば、被告とハナは原告の面前で夫婦然と振舞ったことはないと推認できる。他に、被告とハナが、原告、被告又はハナの知人に対し夫婦然と振舞った事実については主張・立証がない。そうすると、本件慰藉料の算定につき、被告とハナの夫婦然とした振舞いを特に斟酌することはできない。

四  ハナが、昭和四五年暮ころから原告の注意と指示を無視して外出し外泊する度合が増し家庭を顧みなくなった事実は前記認定のとおりである。又、ハナが昭和四七年一〇月末に家庭に落着いた事実も前記認定のとおりである。さらに、前記認定の事実に照らせば、被告とハナとの異性関係は最も長期をとると最初のドライブである昭和四五年八月からハナが被告に別離の手紙を書いた昭和四七年一〇月ころまで継続したと考えられる。そうすると、ハナの原告に背き家庭を顧みなくなった時期と被告とハナの異性関係の継続した時期とは、ほぼ符合しており、この事実は、被告とハナの異性関係の継続とハナが原告に背き家庭を顧みなくなったこととの因果関係を推認させるべき事実といいうる。しかし、反面、前記認定のとおり、ハナは、昭和四五年三月に千葉へ移転してから、家事と治療のみの生活に倦み、これに不満を持っており、又、被告に対する最初の手紙で、被告に対し、原告に対する強い憎しみを告白している。さらに、≪証拠省略≫によれば、ハナは、昭和四五年一〇月一二日に被告に対して書いた手紙で、被告に対し、原告との関係を形式を装った夫婦で針のむしろであると形容して、原告に対する憤懣を述べている事実を認めることができる。右のハナの被告に対する言動は、被告の同情を買うために事実を誇張していると考えられない訳ではないが、その点を割引いても、ハナが、被告との異性関係の初期の段階で、性的交渉を持つ以前に、被告に対し右のような言動をしている事実に照らせば、ハナは、被告との異性関係の始まる前から、原告に対し、不満と憤懣を有していた事実を推認することができる。

また、≪証拠省略≫によれば、ハナの生年月日が昭和九年一一月一四日である事実を認めることができ、被告の生年月日が昭和二二年六月一三日である事実は前記認定のとおりであるから、被告とハナとの異性関係の始まったころ、被告は二三才、ハナは三六才であったことになり、前記認定のとおりの被告とハナとの異性関係の始まりの状況を考えると、ハナは、一三才も年下の顔見知り程度に過ぎない若者を誘ったのであり、この事実も、右推認を裏付けるものといえよう。前認定のとおり原告とハナの夫婦生活に○○市に移転するまで格別の波瀾がなかった事実によっても、右推認を覆えすに足りない。他に右推認を覆えすに足りる事実の主張・立証はない。以上の事実に照らせば前記期間の符合の事実によっても、被告とハナの異性関係の継続とハナが原告に背き家庭を顧みなくなったこととの間の因果関係を推認することはできず、むしろ、ハナの原告に対する不満や憤懣が正当なものであるかどうかは別として、そのような不満と憤懣があったからこそ、ハナは原告に背き家庭を顧みなくなり、又被告と異性関係を継続したというべきであって、被告との異性関係の継続は、ハナが原告に背き家庭を顧みなくなるのを助長したことはあっても、これの原因であるというべきものではない。右の助長の点については、逆に原告に対する不満と憤懣が、ハナを原告と家庭から離反させ、それがハナの被告に対する慕情を募らせて異性関係の継続を助長したともいいうるのであって、どちらが因でどちらが果であるかを決するに足りる証拠はない。前記のとおり、原告は、ハナのメモ等を発見するまで、被告とハナとの異性関係を知らなかったのであるから、被告とハナとの異性関係が原告を家庭生活の破壊へと導いたということはできない。また、被告とハナの異性関係の継続がハナの原告に背き家庭を顧みなくなったことに寄与した度合いを確定するに足りる証拠もない。また、ハナが原告に背き家庭を顧みなくなった事実以外に、被告とハナとの異性関係の継続と因果関係を有する家庭破壊の行動をハナがとった事実については、主張・立証がない。そうすると、本件慰藉料の算定につき、原告とハナとの家庭生活の破壊を特に斟酌することはできない。

五  原告とハナとの長女花子の性格への影響については、前記のとおり被告とハナとの異性関係の継続が原告とハナと家庭生活の破壊と因果関係を有することが認められない以上、前提を欠き、本件慰藉料の算定につき、右の点を特に斟酌することはできない。

六  当裁判所が、本件慰藉料の算定にあたって特に斟酌した事情は、左記のとおりである。左記事情は、いずれも前記認定のとおりの事実である。

原告は、ハナの心臓疾患への影響を配慮し、ハナとの性的交渉を極力抑制し、ハナを慈しみ十分保護してきたのに、そのハナの貞操を害され、しかもそれをハナの死亡まで知らなかった点において、原告の受けた屈辱感は計り知れない。しかし、被告は、二三才のまだ異性関係の経験のない青年の時、既に結婚生活七年以上で三六才のハナから誘われ、またハナへの同情もあって、勢いのおもむくままハナと深い関係に入ったのであり、被告に節度を期待できないわけではないが、ハナに節度と思慮を期待する方が常識に合致し、ハナの節度と思慮のないことを被告の責に帰することはできない。さらに、被告は、自ら進んでハナとの関係を清算している。

以上の事実のほか、前記認定の各事実に照らせば、被告の本件不法行為により原告の蒙った精神的苦痛につき、原告が被告に対して求めうる慰藉料としては、金三〇〇、〇〇〇円が相当である。

第五よって、原告の本訴請求については、被告に対し、慰藉料として右金三〇〇、〇〇〇円の支払いを求める部分は正当であるから、これを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 江田五月)

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